クラタタカシのブログ

この文章に意味はありません

何があれば満足か。

お久しぶりです、また無精を発揮しました。

嬉しいことに仕事が非常に順調で、忙しくもストレスはない日々を過ごしています。
 
学生の頃から、考えていることがあります。
人は何があれば満ち足りるのか、幸福なのか、です。
ちなみに一般解が、人によって異なるというのはわかっています。
更に言えば、人によっても時と場合で変わることも十分考えられます。
 
例えば、僕はお金が好きです。
なので、比較的激務な仕事でもフィーがよければ気にしません。
僕にとっては、自分の時間よりもお金の方が価値があるのです。
ちなみに僕はお金を使うことにも、貯めることにも興味はありません。
単にお金が好きなのです。
経済的に言えば、貨幣が好きなんだと思います。
 
お金というものが好きでない人にすれば、僕の生き方というのは不幸に見えるのだと思います。
所謂、社畜的な生き方ですね。
もちろん僕には、会社に使われているという意識はなく、むしろ今いる会社を使わせてもらって自分の欲求を満たしていると考えています。
ダイナミックなお金の流れが見える仕事はなかなかありませんから。
なので、金融系でもリテールには興味はありませんし、財テク的な話も興味ありません。
 
まあ結構極端な生き方をしているので、人によっては僕は可哀想な生き物に見えるのです。
資本という海に投げ出され、浜に打ち上げられた社畜という水死体なのです。
それが不幸か幸せかと問われればわかりません。
 
ただ、それを問いていいのは自分だけだとも思います。
幸福や満足って主観ですから、他人がどう思おうと断じるのは僕です。
そこだけは間違ってはいけないと思っています。
言葉は呪いですから、不幸だと他人に言われ続ければそう感じ始めますし、つまらない人間だと言われればそうなっていくんです。
他人から断じられるべき評価と、自分で断じるべき評価があるのを忘れると本質を見失って判断を誤ります。
 
大きな指針だけ定めて、とりあえず一歩踏み出す。
ただ、自分の本質を間違えて一歩目を間違えると面倒なことになります。
自分が何が欲しいのか、どこを目指しているのか。
定期的な自問自答が必要だとは思っていますが、明確な答えが今日も出ないので、これからも考えていかなきゃいけません。
 
 
安易ですが、自問自答。
このアレンジが1番好きです。