正しさ、について思うこと。
絶賛胃腸炎中につき、嘔吐は治まりましたが下の口が尚も雄弁です。
明日には仕事に復帰できると信じて、便器の上からお送りさせていただきます。ウォシュレットは日本最高の発明です。
年末年始に、TBSの『アンナチュラル』というドラマの再放送をしていたので視聴していました。
米津玄師さんの『Lemon』もとてもハマっており、周りの評判も非常に良いドラマだったので気になっていたのもあり、一挙放送がありラッキーでした。ひねくれて強がっていましたが、石原さとみさんが可愛いという事実は受け止めなくてはなりません。
- 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
- 発売日: 2018/07/11
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログを見る
結果からいうと非常に面白かったです。
主人公の三澄ミコトが非常に正しい人で、全編を通して正しさや正論が最終的に勝利する展開も好みでした。
不条理対正しさ、感情対倫理、慣習対真理、この辺の構図は脚本を書いた方の好みが多分にあるのではないかと思います。
で、そんなことはどうでもいいんです。
僕は「正しい人」が好きです。
「正しい人」が抗って、前に進んで、正しさを曲げないのが好きです。
自分が好きな作品はそういうものが多く、まあそもそも万人受けするものがそういうものだろうという気もしますが(所謂、勧善懲悪ものとか)、とにかく好きなのです。
しかし、冷静に考えれば「正しさ」という表現はそんなに胡散臭くないですが、「正義」はとても胡散臭いと思いませんか。
正義の反対は悪ではなく、また違う正義だというように、正義は何かを打倒することが前提になっている分、そもそも他者を打倒するという発想自体が正しくないだろうという気持ちになるからかも知れません。
もしくは、悪があることを前提にある正義に、悪を否定することから入る傲慢さに不誠実さを感じるからかも知れません。
対立軸があるものがそもそもナンセンスだろうと感じるのは世代かも知れませんね、政治の話とかに触るのに一般的に抵抗感があるのはこういうことが根本にある気がします。
話が逸れました。
では、私が感動する「正しさ」とは何なのでしょうか。
それはその人の持つ「軸」や「信念」です。
その人が信じる「真理」とも言えます。
打算ではなく、保身でもなく、自分の信じる「正しさ」を貫ける人を僕はとても尊敬しています。
自分にはないもので、その感動は共感ではなく、どうしようもない羨望です。
例え負けても、例え苦しくても、それでも私は「間違っていない」と言い切れる生き方ができることに酷く憧れて、感動するのです。
誤魔化し誤魔化し、上手くやり続けてきてしまいました。出世するのは自分みたいなタイプだと思う一方で、この歪みでいつか死ぬのだとも思う。上手くやることより正しくやる方が僕には難しく、立場が上になるにつれてその事実に向き合わなければならなくなっている。
— クラタタカシ (@mineshi_89) 2018年5月27日
主題歌の『Lemon』の中に、「今でもあなたはわたしの光」という歌詞があります。
亡くなった祖父に対する歌らしいので、本来どういう意図で書いているかはわかりませんが、僕が受け取る「光」とは正しさです。進む指針だと思っています。
真っ暗闇の中で遥か天から落ちる、蜘蛛の糸の鈍い光という感じでしょうか。
すぐに易きに逃げる、卑怯で狡猾、口と態度が悪く、創作物なら必ず悪者になるであろう「クラタタカシ」という男。
正義なんて胡散臭いものにはなりたくないですが、せめて筋の通った自分の正しさを持った悪者になりたいと思う深夜でした。
これからどうしていくのか、春頃までにはしっかり方針決めて皆さんに笑ってもらえるようにしていきたいと思います。
アンナチュラルの主要人物の一人、中堂系という法医学者の口癖が「クソ」なのですが、私も下の口からクソを垂れ流しながらクソポエムを投稿させていただきました。ガハハ。
今月は頑張って、ポエム以外もあと1本くらい書きたいと思います。